国内UX第一人者 黒須正明先生による連載コラム第一回「UXへの大いなる誤解」


今回から全6回にわたり、Web関係者の皆さんを主対象にしたUXの解説を書くことにします。世間に出回っているUXに関する言説には論理的に考えるとちょっとおかしいものが多いので、そうした話を聞かれてきた皆さんには多少の違和感があるかもしれませんが、どうぞよろしくお付き合い願います。

[UX概念の誕生]
いまでは頻繁に耳にするUX (注1)という概念は、認知工学者のノーマン(Norman, D.A.)が1998年に提案したものです。当時、ノーマンはアップル社にいて、1993年にはUser Experience Architectという肩書きを持っていました。その考え方を本にしてまとめたのが『インビジブルコンピュータ― PCから情報アプライアンスへ』(注2)です。その本のなかには「ユーザ経験グループ(UE: User Experience)は、製品に関して、それがどのように見え、学習され、使用されるか、というユーザのインタラクションのすべての側面を扱う。これには、使いやすさと、最も重要なこととして、製品が充たすべきニーズとが含まれる。」と書かれています。グループと書いてあるのは、企業内でUXを担当する人たちのことです。また、当初はUXでなく、UEと略されていました。
そうした概念を提案した理由として、彼は「ヒューマンインタフェースとかユーザビリティという概念は狭すぎて、人々の経験のすべての側面をカバーするような概念が欲しかったからだ」と述べています。

[UX概念の拡散]
しかし、そのノーマン自身が2007年には「UXとかHCDとかユーザビリティとかアフォーダンスという概念は一般用語となってしまい、特別な意味をもたなくなっている。人々は、なぜその概念が必要なのか、それが何を意味しているのか、その起源は何なのか、その歴史はどうなっているのか、あるいはそもそも何のことなのかについて考えることなしに、その言葉を使うようになっている」と苦言を呈しています。バズワード(流行り言葉)というのは往々にしてこうした運命をたどるものですが、UXの場合にも意味が拡散しすぎて、何のことやら訳がわからなくなってしまったのです。

[UXの曖昧さ]
UXという概念をノーマンがもっと明確に定義して、それを当初から強く主張していれば状況は変わったかもしれませんが、現在では様々な人が様々な定義を提案する状況になっています。たとえば、All About UXというサイトには、現時点で27個もの定義が集められています。ロト(Roto, V.)たちが2011年にまとめた『UX白書』(注3)では、UXに関する重要な事柄が列挙されていますが、UXの定義はひとつに絞れないということで棚上げされています。

[UXに関する誤解]
概念定義が曖昧であるために、誤解も広まっています。もちろん正解があってこその誤解ですから、正解のないUXには誤解はあり得ないのではないか、ともいえるのですが、筆者は次回に紹介するような形でUXを定義しています。その定義からすると、もっとも甚だしい誤解はユーザビリティとの混同です。
まず指摘しておくべきことは、ユーザビリティは設計作業のなかで検討される特性だということです。Webサイトについてユーザビリティテスト(注4)を行うことは多いと思いますが、それは基本的にはユーザビリティラボや会議室という実験的環境で行うもので、設計プロセスの一貫として行われるものです。ユーザビリティの評価として設計プロセスのなかでユーザビリティテストを実施することは、必要であり重要なことです。それによって問題点を摘出したら、即、デザインの修正を行い、反復的にWebサイトの質を向上していくわけですから。
しかしUXは違います。ユーザが実際の製品やシステムやサービスを、実際の業務環境や生活環境のなかで利用して経験することがUXだからです。つまり設計より後、Webサイトがリリースされてから後の話になるわけです。こうしたフェーズの違いがあることから、ユーザビリティテストはUXの評価手法にはなりません。そもそもテスト実施者に指示された課題を遂行するというのは実際の現場的経験ではなく、実験的なテスト環境で発生することです。こうした違いがあるにもかかわらず、UXの評価としてユーザビリティテストを行っているケースが多く見受けられのは残念なことです。
同様な意味で、エラーが何パーセント発生するかとか、課題達成率の平均が幾らになるかといったパフォーマンスを計測することもユーザビリティの指標としては有用であっても、UXの指標にはなりません。UX白書にも書かれているように、UXというのは個人的なものであり、感情とも関係の深いものです。いいかえれば、高いパフォーマンスが達成されても、それが優れたUXとなる必然性はないということです。
またマーケティング分野の人たちに多い誤解としては、UXという概念を売り上げに直結させて考えようとする傾向があります。たしかに売り上げというのは経営的に重要な指標ですが、UXが実際の経験にもとづくものだとしたら、それは既に製品やシステムを購入して利用した時、あるいはサービスを経験した時に生じるものです。もちろん、期待感というのも経験の一つですから、カタログに掲載されている機能や性能が良かったり、評判が高かったりして期待感が高まることもUXの一部ではあります。しかし、それはUXの一部にすぎません。そのことを忘れて、魅力的な製品やシステムやサービスを設計したからといってUXが高いと勘違いしてしまうのは、UXの拡大解釈というべきことです。

[次回に向けて]
このような誤解が生じてしまうのは、やはりきちんとしたUXの定義がないからでしょう。ISO9241-210:2010 (注5)という規格では、ISO規格として初めてUXの定義を載せました。それは「製品、システム又はサービスの使用及び/又は使用を想定したことにより生じる個人の知覚と反応」というものです。しかし、定義を公開するのが遅すぎました。この定義は、時々参照されていることはありますが、まだ標準的定義とはなっていませんし、また筆者の観点からすると多々問題もあります。そこで次回には、筆者の定義するUXの概念構造をご説明します。

注1 UXは英語のUser Experienceの略で、日本語ではユーザエクスペリエンスとか、ユーザ体験、ユーザ経験などと訳されています。ユーザ経験よりはユーザ体験という表現を使う人が多いのですが、体験という言葉は恐怖体験とか体験型イベントという具合に一回性の場合を含むことが多く、それよりは哲学的な歴史もあり、きちんと考えられてきた経験という表現の方がいいと筆者は考えています。ただ、そうした面倒で不毛な議論を避けるため、本稿ではUXという略称を使うことにします。
注2 1998年に出版されました。翻訳は2009年に新曜社から改題新装版として出版されています
注3 http://www.allaboutux.org/uxwhitepaperからリンクをたどってください。日本語版があります。
注4 ユーザビリティテストのことをユーザテストと言ってしまう人々が多数おられることも困ったことのひとつです。何とかテストというのは、その何とかを評価するために行われるものです。学力テストとか商品テストという言葉を思い出してください。それらは学力「を」テストし、商品「を」テストするものです。しかしユーザビリティテストは、ユーザ「を」テストしてその能力を調べることではなく、ユーザに協力してもらって製品やシステムやサービスのユーザビリティの程度や内容「を」調べることです。ですから、ユーザテストという表現は間違いである、ということになります。
注5 このISO9241-210:2010という規格は、まだ翻訳されてJIS規格にはなっていません。おそらく2017年度中にはJISとして公開されることとは思います。

 


Post Author: 黒須正明

黒須正明
 1978年早稲田大学文学研究科(博士課程心理学専修)単位取得満期退学、日立製作所に入社し、中央研究所で日本語入力方式やLISPプログラミング支援環境などのソフトウェアシステムの研究開発に従事。1988年同社デザイン研究所に移り、インタラクションデザイン、ユーザビリティ評価の研究に従事する。1996年に静岡大学情報学部情報科学科教授として赴任し、ユーザ工学の体系化を行う。2001年文部科学省メディア教育開発センター(2005年4月より独立行政法人、2009年4月に放送大学に併合)教授として赴任。2017年に放送大学を定年退職し放送大学名誉教授。以後、フリーとして活動し、ユーザ工学の立場から人間とあらゆる種類の人工物の適切な関係のあり方というテーマに取り組んでいる。  学会活動として、APCHI98大会委員長、INTERACT2001大会長、ICHCI2009,2011,2013,2014,2015,2016,2017大会長、NPO人間中心設計推進機構の理事長などを歴任。  著書に「Theory of User Engineering」「研究者の省察」「人間中心設計の基礎」「コンピュータと人間の接点(共著)」など。ACM SIGCHI、ヒューマンインタフェース学会、日本心理学会、日本感性工学会などの会員。  個人サイトは、 http://user-engineering.net/masaaki/index.html